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屋敷の裏庭で、探していた人物を見つけた。
「こんなところにいたのか、カッツ」
俺が呼びかけると、その子供はむっとした表情を隠しもせずに振り向いて、ますます口を頑固そうに捻じ曲げた。
「なんだよ、セイ」
「いや、なんだよって、ここ、俺んちだし。お前こそ、人の家の裏庭なんかで何してるんだよ。リリニィも心配してるぞ」
その名を出した途端、カッツは口を曲げるばかりでなく眉も上げて、頑固な駄々っ子そのものの顔になった。
面倒くさいな、と舌打ちしそうになる。俺はこんなものを見ても宥める気にはなれないが、リリニィあたりはこんな時、オロオロしながら機嫌を取ろうとするのだろう。
そういうことの積み重ねが、余計にこいつをここまで増長させることになったんだ。
「リリニィのことなんて、知るもんか」
「昔からいつもベッタリだったくせに」
「うるさい!」
とうとう癇癪を起こして、ダンッと勢いよく足踏みし、大声で怒鳴る。カッツは確かもう九歳になるはずだが、大公家の年の離れた末っ子ということで、周りに散々甘やかされて育ったため、同じ年頃の子供と比べ、数段精神的に幼いところがあるのだ。
「お前が悪いんだからな、セイ!」
いきなり、人差し指をびしりと俺に突きつけて、カッツは非難する声を上げた。
「お前があんな男をリリニィに紹介なんてするから! 大体、お前なんかと一緒にいたせいで、リリニィは男に対する見る目がなくなったんだ! あんなやつ、ただでかいばっかりで、目つきも悪いし無愛想だし、身分だってぜんぜん違うのに!」
「なるほど。で、それについて俺に文句を言いに来たと」
要するにヤキモチだ。昔から姉大好きのカッツにとって、リリニィにいつも仲睦まじく寄り添っているロンの姿は、これ以上ないほどの目障りな存在なのだろう。
しかしだからって、俺に苦情を言い立てるとは、まったく言いがかりも甚だしい。俺は別にロンをリリニィに紹介したわけじゃないし、リリニィの好みが一般と違うのも俺のせいなんかじゃない。
「お前もいい加減、姉離れしたらどうだよ。リリニィが誰を選ぼうと、弟であるお前が口を出す権利はない。知ってるか、そういうの、異世界では 『シスコン』 って呼ぶらしいぞ」
「うるさい、わけのわかんないこと言うな! とにかくお前のせいだ! なんとかしろ!」
「なんとかってなんだ」
「リリニィの目を覚まさせて、あの男と別れさせろ! 責任をとれ!」
「俺の知ったこっちゃないし。だったら直接ロンに言えば?」
「あんな大きくてのっそりした強面男の相手ができるか!」
「つまり怖いわけね。じゃあどんな男ならいいんだよ。ひょっとしてお前、俺に義兄になって欲しかったのか? 悪いけど俺、リリニィのことは妹としてしか見られないから」
「お前のような軽薄なやつは余計にダメに決まってる!」
「本当にワガママなガキだな……。とにかく帰れよ。お前、こっそり屋敷を抜け出してきたんだろ。大公家から使いが来て、見つけ次第捕獲して返してくれって言われてるんだよ」
「人を迷い猫みたいに言うな!」
捕まえようと伸ばした俺の手をすり抜けて、カッツは叫んだ。
「あいつとリリニィが別れなきゃ帰らない! じゃなきゃお前があの男をリリニィから遠ざけるって約束しなきゃ、帰らないからな!」
「おい、カッツ、お前いい加減に……」
理不尽な要求をしながら、カッツはむかっ腹を立てた勢いで、まるで地団駄を踏むようにしてどたばたと走り回っている。怒りをそういう形でしか表に出せないのは、まだまだこいつが子供だからだ。腹の中から湧き上がる負のエネルギーを、無闇に手足を振り回すことでしか、発散できないのだろう。
が、場所が悪かった。
カッツが暴れているところを見て、俺の顔からさーっと血の気が引いた。
「バッ……! お前、何してんだよ! そこに入るな!」
顔色を変えて鋭く怒鳴る俺の剣幕に押されたのか、カッツがようやくひるんだように動きを止めた。バカ、だからそこで止まるな! 絶妙な配置で植えられた花が目に入らないのか?!
「な……なんだよ」
「いいから出てこい! そこは花壇なんだよ!」
「花壇……? このちんまりしたのが?」
カッツが地面に視線を落とす。自分の足元で、植えられた可愛い花々が、すでに半分ほど踏みつけられて荒らされているのを見ても、ぽかんとしたままだった。
「これがなんだよ。別にいいだろ、こんなセコい花壇がどうなったって。なんならうちの庭師を手配してやるよ」
「そういう問題じゃない! さっさとこっちに来い! そこはコトが丹精込めて毎日欠かさず手入れしてる……」
「──お坊っちゃん?」
「ひっ!」
背後からひんやりとした静かな声がかかって硬直する。
おそるおそる振り返ってみれば、コトが薄く笑みを浮かべながら箒を手にして立っていた。
笑ってるけど、目が据わってる……!
「いやいやいや、待てコト、まずは落ち着け。な? な?」
「おやまあ、お坊っちゃん、ずいぶんと元気に遊び回られて。ここで鬼ごっこでもなさいましたか」
慌てて両手をぶんぶん振ったが、コトはもうこっちを見ていない。背筋が冷えるようなオーラを出しながら、惨憺たる有様になった自分の花壇に目線を釘付けにし、絶対零度の笑みを口元に貼り付けている。寒い! 怖いっていうか寒い!
「俺じゃない、俺じゃないからな!」
「昨日ようやく開いた花もあったんですがねえ。植物とはいえ命があって大切に愛情かけて育てましょうって習いませんでしたかそうですか。丁稚とはいえ人道にもとる行為を見逃すわけにはいきませんから申しますけどこの殺戮行為について一体どう落とし前をつけてくださるんですかお坊っちゃんええおい」
「最後はっきりと恫喝になってるんだけど?! 俺じゃないって! やったのはカッツ!」
もちろん、子供だからといって、罪をかぶって庇ってやろうなんていう考えは、俺の頭にはカケラもない。俺から弾劾されたカッツは、ちょっと怯えたようにビクッと体を揺らした。
「カッツ?」
コトがやっと花壇からカッツに目を移して、ぱちりとひとつ瞬きをした。
「ひょっとして、さっきからみんなが探していた大公家の坊っちゃんですか」
「そうだよ!」
むしろ、最初に気づけよ!
「ふうん……」
呟いて、とことことカッツに寄っていき、まじまじと眺める。カッツははじめこそたじろいでいる様子だったが、すぐ間近まで来たコトが自分よりも背の低い女の子だと判ると、途端に負けず嫌いの性格と尊大さを取り戻してふんぞり返った。
「リリニィさまの弟さんですね?」
「そうだ、大公家の二男、カッツ・シア・ガレルだ! お前が異世界から来たという子供だな?!」
「はいそうです。カッツ坊っちゃんですね。おいくつですか?」
「九つになった! お前よりも齢は下だけど、大公子息だからな、偉いんだぞ! 敬え!」
コトの話はリリニィからも聞かされているのだろう。日頃、自分よりも目線が下に来る人間とほとんど接することのないカッツは大威張りだ。
コトはなんだか面白そうに目をくりくりさせている。
「はい、よくわかりました、カッツ坊っちゃん。私はこの中公家でお世話になっているコトと申します。よろしくお願いします」
「うん、お願いされてやってもいいぞ! なんなら、一緒に遊んでやってもいい! お前は今日からオレの下僕だ!……いてっ!」
ぽかんと頭を殴ってやった。
「何するんだよ、セイ!」
「コトは俺の丁稚」
「お前は子供か!」
「早く帰れ、カッツ!」
「やだやだ! 遊ぶ!」
「お前のほうがガキだろ!」
睨み合う俺とカッツの間に、コトが割って入った。
「まあまあお坊っちゃん、いいじゃないですか。カッツ坊っちゃん、せっかくいらしたんですから、ゆっくりなさっていったらいかがです。大公家のほうには、もう少ししてからお送りするとご連絡すればよろしいでしょう」
「うん!」
ぱあっと嬉しそうにカッツが頬を紅潮させた。俺にも覚えのあることだが、特権階級に生まれ育った人間にとって、純粋な遊び仲間、というのは作るのも得るのも難しい。俺の場合はたまたまリリニィと年齢が同じだったからよかったが、カッツの場合は近くの屋敷に同年代の子供がいない。だから寂しいしつまらないしで、余計に姉にベッタリになり、自分が一番偉いように振る舞う、というのもあるのだろう。
俺はやれやれとため息をついて、こっそりコトに耳打ちした。
「いいのか? こいつ、甘やかされて育ったから、ものすごくワガママだぞ。振り回されてクタクタになっても知らないぞ」
「大丈夫ですよ。私、甘やかされて育ったワガママな子供の相手をするのは慣れてますから」
「なんで俺のほうをじっと見るんだよ」
「なあっ、何して遊ぶ?!」
もはやカッツはこの屋敷にやって来た当初の目的も忘れ、目をキラキラ輝かせてコトにまとわりついている。なんだかイラつく。もう一回殴ってやろうかな。
コトは首を傾げ、ちょっと考えるような顔をした。
「そうですねえ……でも、遊ぶのは少し待ってもらってもいいですか。この花壇の後始末をしないといけないので」
自分でしでかしたことだというのに、カッツはむくれて不満そうに唇を突きだした。
「そんなの、あとでいいだろ」
「ダメですよ、お仕事ですからね。カッツ坊っちゃんにも手伝ってもらったら早く片付くかもしれないんですけど……無理ですよね、大公家のご子息様に、そんな土仕事は」
コトが頬に手を当て、ふうと息を吐く。わざとらしい……と俺は思ったが、幼いカッツはころりと乗せられてムキになった。
「む、無理なんかじゃないぞ! お前にできて、オレにできないことがあるか! オレのほうがお前よりも背が高いんだからな!」
「そうですか? いや、でも、こんなことを手伝わせたと知れたら、コトは大公家からも中公家からもお叱りを……」
「いいんだよ! オレがやるって言ってるんだから、お前の責任になんてさせない! それで何をすればいいんだ?!」
「そうですかあ? 身分の上下を気にせず、ご自分の意志で丁稚の仕事を手伝ってくださるなんて、カッツ坊っちゃんはお優しいですねえ」
「ま、まあな! さあやるぞ、コト!」
「じゃあまず、そこの土を綺麗に均して……」
張り切ったカッツは仕立ての良い洋服の袖をまくり上げ、コトの指示に従い、せっせと花壇の手入れをはじめた。
──で、結局。
「そうそう、お上手ですねー」
「カッツ坊っちゃんは力がおありですね、コトにはこんなのとても運べません」
「これが初めてとは思えないくらい、手つきが堂に入ってますよ」
「ついでにあっちとこっちとそっちに新しい苗を植えて、肥料を撒いて水をかけて」
という、コトの調子のいい言葉に乗せられるがまま、カッツは真面目にひたすら仕事をこなしていった。
最終的に、荒らされる前よりも格段に面積が増え、美しく立派になった花壇を眺めながら、満足げにうんうんと頷くコトを見て、俺は今までの自分を心から反省した。
俺って、こうやってコトに操られてたのか……
***
すっかりコトを気に入ってしまったカッツは、今日は中公家に泊まる、と言い出した。
いいか泊まるからな! と一方的に宣言されたワンズは、老練な執事だけあって、ぴくりとも驚きを見せることなく、それでは旦那様と奥様にお伺いいたしましょう、と丁寧な物腰で頭を下げた。背中を向けてから、「こんな悪ガキまで手懐けて……」 と感心したように小さな声で呟いていたが、それはもちろんカッツの耳には入らなかったようだ。なんとなくその言葉に引っかかるところがあるような気もするが、深くは考えないでおこう。
突発の客とはいえ、そもそも部屋はいくらでも余っているし、大公家の子息の申し出を簡単に断れるものでもない。そうでなかったとしても、子供好きな父上と母上はなにかとカッツを構いたがっていたから、大喜びで大公家にその旨の使いをやった。
もちろん俺は面白くない。
しかしそれを口に出すほど幼くもないので、夕食の席ではカッツを交えてむっつりとしたまま食事を摂った。父上や母上と談笑しながら、カッツは自分のそばにコトをぴったり付かせ、あれこれ面倒を見てもらって上機嫌だ。コトがカッツの世話を焼いているものだから、今夜は俺の横にはワンズが生真面目な顔をして立っている。こんなにもつまらない食事は久しぶりだった。
それでも、俺は黙って我慢していたのだ。面白くはないが、今日一日のことだしな。明日には大公家から迎えが来るんだし。明日からはまたコトは俺だけの丁稚になるんだからと。
……しかし、夜はコトの部屋で寝る、とカッツが言うのを聞いて、さすがに切れた。
「ダメに決まってんだろ!」
「どうしてダメなんだよ! 絶対一緒に寝る! いいよな、コト!」
「はあ……でも、私の部屋、リリニィさまにいただいた子供用ベッドしかないですよ。そこで寝ますか? 私はソファで寝ますから」
「一緒に寝ればいいじゃないか。コトはちっちゃいから、ぴったりくっつけばあのベッドでも二人で寝られるぞ」
「余計にダメだ!」
「私は構いませんけど」
「構えよ、そこは!」
「なんでセイは怒ってるんだ? オレはリリニィともよく一緒に寝るぞ? ぎゅっと抱っこされながら寝ると気持ちいい」
「へえー、酸欠になりませんか?」
「時々死にそうになる。その点、コトは安心だな!」
「カッツ坊っちゃん、食事はお済みですか。お顔を拭きましょうね」
「いてて! いたいいたい、コト! 力入れすぎ!」
「とにかくダメだからな!」
俺は断固として反対し続けたが、「子供同士」 が仲良く同じベッドで眠るのになんの問題があるのかと、誰もマトモに聞いてくれなかった。
そんな次第で、夜はやむなく、俺もコトの部屋に居座ることになった。
とにかくカッツが頑として主張を曲げないので、なるべく夜更かしさせてやることにしたのだ。ただでさえ慣れない庭仕事をしたりはしゃいだりして疲れているだろうし、大体がまだ九歳の子供なんだから、ちょっと遅い時間になれば勝手に沈没してしまうだろう。そうすればベッドに寝かせて、コトはソファで寝るなり別の部屋に行って眠るなりすればいい。
「お坊っちゃんは、ご自分はチャラい生活を送っているくせに、人に関してはうるさいことを言うんですねえ」
と、コトが呆れたように言った。俺に言わせれば、お前が無頓着すぎるんだ。
「子供同士なのに」
しれっと言い切るコトの頭を指でびしりと弾く。いたい、と押さえる両手ごと、手の平で包んでぐりぐり乱暴に撫でてやった。
「じゃあせっかく三人で夜更かしするんですから、怪談話でもしましょうか」
「カイダン……?」
怪訝に思って首を捻る俺を見て、コトがきょとんとした。
「あれ、知りませんか? 怪談」
「階段の話か? 屋敷の?」
「親父ギャグですね、お坊っちゃん」
何を言ってるのか判らない。
「要するに、怖い話ですよ。あっちの世界では、お泊まり会とか、キャンプとか、修学旅行とかでの定番なんですよ」
「怖い話……」
おとぎ話みたいなものかな、と俺は考える。コトのいた世界は、いろいろと変わった風習があるな。そんなの、幼児でもないのに、聞いて楽しいか?
「まあ、カッツはまだ子供だから、いいのかな……」
「じゃあ、準備しますねー」
と言って、コトが窓のカーテンをびっちりと閉め、部屋のあちこちにかかったランプをすべて消して、テーブルの上に一本だけ蝋燭を灯した。何が始まるのかと、カッツはさっきからずっとワクワクした顔で見つめている。
真っ暗闇に、蝋燭の周りにある三人の顔だけが、ぼうっと浮かび上がる。静寂の中で、じじ……という揺れる炎の立てる音だけがかすかに聞こえた。
「……では、いきますよ」
コトが低い声で言った。頼りない明かりで陰影が濃くなった顔が、近くにあるような遠くにあるような感じで、妙に現実感が薄い。そこにあるのは見慣れたコトの顔であるはずなのに、まったく別の誰かのようにも見えて、背中が少し冷たくなった。
「──昔々あるところに、一人の無慈悲な悪人がおりました。その悪人は、月の出ていない晩、人を殺して金品を奪おうと……」
***
その後、カッツは非常に大人しくなり、癇癪を起こしたり、暴れたりすることがぴたりと収まったらしい。
今までは一旦ワガママを言い出すと、それが通るまで泣いたり喚いたりして手がつけられないくらいだったのに、そういうところがすっかりナリをひそめて、ずいぶんと素直な性格になった、とリリニィが驚いていた。
「きっと、まだ小さいのに一生懸命働いているコトの姿を見て、いろいろと思うところがあったのね。でもよかったわ。お父様もお母様も、あの子のああいうところはちょっとご心配されていたんですもの」
でも、不思議なこともあるの、とリリニィは首を傾げて言った。
最近のカッツは、ひどく暗がりを怯えるのだという。夜も明かりを灯していないと眠れず、寝ていても時々夢を見るのか、「手が……手が……」 とうなされているのだそうだ。
「へえ……」
リリニィの話に、俺は曖昧な相槌を打った。
……まあ、何にしろ、いろいろと態度を改められたのは良いことだよな、と思うことにする。
将来はカッツも城勤めをすることになるのだろうし、そういう人物が早いうちに 「悪いことをするとそれなりの報いがある」 という自制心を持つのは、大公家にとっても、国にとっても、きっと幸いだ。
それにしても、あの程度の作り話でそこまで怖がるなんて、やっぱり子供ということだろう。なんだかんだいっても、ガキなんてそんなもんだ。生意気なことばかり言っていたって、あれだけのことでコロリと降参して泣き出してしまうんだからな。
まったく情けないやつだ。
──ちなみに、俺がこのところずっと夜遊びを控えているのは、別に夜の暗闇が怖いとか、その中に引きずり込まれて恐ろしい目に遭いそうだとビクビクしているとか、そんなことでは決してない。
もう二度と、コトの 「怪談」 は聞かない、と俺は心に決めている。
(おわり)